Author Archives: yuichikurojapan

中国語、筋トレの進捗

ここ数日は授業が無い時間はほぼ全て中国語の勉強に当て、一日の終りにジムに足を運ぶというルーティーンにささやかな幸せを覚えている。人間は昨日より成長している自分に幸せを覚えるように設計されているそうなので、毎日努力して新しいワザや知識、フィジカルを身につけることで毎日幸せを更新できるというのは見過ごしてしまいがちな当たり前の事実なのかもしれない。 臀部を鍛えるためのブラジリアンスクワット、胸筋の上部を鍛えるためインクラインベンチを用いたベンチプレスorダンベルプレスをメニューに追加し、またベンチプレス時にはしっかり足を踏ん張って縦横両方のアーチを背中の下に築き肩を動かさずに胸に負荷をかけるという正しいフォームでのベンチプレス(現在30キロ前後。さしあたっての目標は60kg。今は毎回のように重量が上がっている段階。)を目指す、というのが目標だ。 筋トレを継続して行うと、筋肉を休めるために間に一日くらい挟むのがなんとなく心地悪く感じてくる。「今日は自分が休むのではなく、ジムに休ませてあげるのだ」とはけだし名言である。同時に食事やタンパク質、そして良質な睡眠をしっかり取るように自然と意識が向くので筋トレはやはり単なるボディビルディングには留まらないのである。 中国語は、中級編までの二周目が終了したこと、HSKのスマホ単語帳を地道に進めていること、8月終盤から開始した「多练多说」がとうとう一周したこと、学習に合わせて微信で中国語作文の投稿を続けていること、が目立った進捗である。体感としてピンインが読めなくて困るということが圧倒的に減り、簡単な会話なら不自由なく行えるような気もしてきている。 「多练多说」は60ページあり今日で約一ヶ月経つことを考えると悪くないペースで終わらせられた気がする。チリが積もったというところか。 以降の中国語学習計画は密かに考えてある。英語を学び始めたときのワクワクが蘇る。楽しんでいこう。

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筋トレ

男たるもの筋トレをせねば、と思い立ったのは大学一年時の年末年始、両親の移住先のマレーシアでのことだった気がする。もともとかなり線が細い方だったが、今では人並みの胸板の厚さとなり、腕などに関しては程よい筋肉の凹凸が確認できる。 この二年弱はかなりマイペースに気づいたときにする程度の気持ちで続けてきた筋トレだが、この留学を機に少し本格的に自分の体作りに向き合ってみようではないかという気分になっている次第である。住んでいる寮から徒歩10秒でスポーツセンターだから、というのは大きなモチベーションになっている。ただしこれは偶然ではなく、本寮がジムから直近だと調べた上で、香港外からの留学生が多いキレイな建物を敢えて避け、8割がローカルという「伝統的」な建物を敢えて選んだのである。ならばなおさらこの環境を活かさなければ、なんだか損をした気分になるばかりである。こうして連日筋トレに励んでいるのである。 筋トレにはただ体を大きくして見た目を整える以上の効果が当然あるわけであり、今日も自分は努力をして昨日よりも強くなったという一日残る達成感や、短期的に見ると免疫力は若干落ちるものの長期的に見たときの身体・精神的なタフネス、集中力の向上などの精神衛生の劇的な改善など、もう風邪でも引いていない限りやらない理由がないのである。 最近は、下記のメニューを二日間に分けて行っている(上半身/背中&下半身で分けている) ドラゴンフラッグ10*2セット→腹筋 ダンベル15~20kgを8*2セット→腕 ベンチダンベル15~20kgを8*2セット→腕、胸 ベンチプレス10kgあるシャフト含めて25~30キロ→胸 プッシュアップ(プッシュアッパーを使用)10*2→胸、腕 チンニング5*2→背中 背中マシーン6kg8*3→背中 足で押し返すやつ→大殿筋 足をあげるやつ→太もも前部 ダンベルスクワット→太もも   ☆最近始めた背中強化の一環としてデッドリフトを追加していきたいところ。高負荷なので一番最初に行う。7,8回が限度の重さで6回を2セットからとかで始めると無理がないかも。 ☆特に目で見ることのできない背中系の筋肉を鍛えるときに気をつけたいことだが、「今自分はここの筋肉を使いたい」としっかり意識すること。背中を鍛えるつもりの動きがほんの少しの意識の違いで腕を鍛えることになっていたりする。

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Road to master Chinese

留学により俄然熱が入ってきた中国語学習だが、さしあたっての目標とある程度具体的な学習計画を記しておく。 【目標】 ・相手の発する内容を完璧に理解(今のところ自分から発することはできても受けることが困難)/テレビ番組等字幕付きで楽しめるように ・HSK5級を11月に受験 ・HSK5級に11~12月に合格 ・合格後はTOEFL110を目指し英語にややシフトチェンジ 【学習教材】 ・一周目の8割方が終わった「口が覚える中国語」をやりこみ(二周目、三周目と行う。英語のドラゴンイングリッシュ的なイメージ)→スピーキングと作文対策 ・キクタン初級編三周目、初中級編二周目、初中級編三周目、HSK5級アプリやりこみ、初・初中・中の三周目以降のやりこみ(※入門編は三周目が終了。初級編は三周目突入)→基礎にして必須の全方位対策 ・聴読中国語まずは一周目→長文読解とリスニング対策 ・HSK過去問集3級 ・HSK過去問集4級 ・HSK過去問集5級 ・文法参考書の繰り返し 【備考】 ・深センの書店に行って諸々の参考書や多読用の書籍購入も考える。 ・中国語ネイティブの友達がたくさんできた今、積極的に中国語を使っていくこと。 ・wechat, hellotalk等での発信を続けること。 ・長期休暇は中国で中国語に浸ること。」

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Uberの日本浸透はいつだ

日本のタクシー業界が既得権益にしがみついているせいで規制が外れずUberやLyftが日本で全く使いものにならないのも残念。東京は鉄道も流しのタクシーも充実しているが地方でUberが使えれば国内旅行も随分豊かになる。山猿としてはもっと地方の交通の便が向上してほしいことを願わずにいられない。   以前、ゼミの選考書類を書くにあたってUber/Airbnbについて考察したことがある。 英語弁論大会の優勝賞品で手に入れた往復航空券を使って、カリフォル ニアへ二週間ほど放浪しに行った際、Airbnb が大活躍。「シェア リングエコノミー」という言葉に全く明るくない私でも、IT が可能にしたこのサービスが、全世 界レベルで、人々の旅や住み方の形、すなわち行動様式を変えてしまうほどのパワーを秘めている ことに驚きを感じたと同時に、その Airbnb 自体に潜む巧妙に設計され抜かれた仕組みついても興 味深く感じた。まず Airbnb に特徴的な仕組みとして、ホストとゲストの相互評価というもの がある。ゲストのチェックアウト後、ホストはゲストに対して評価文を作成し、その通知はゲ ストに直ぐに届く。だが、その評価文を読むためには、ゲストはホストの提供してくれた設 備や環境、ホスピタリティなどについての評価文と5段階の評価を与える必要がある。ゲストは評価文を読みたいので、ホストへの評価文を書く。そしてそれらの評価はゲスト側、ホスト 側両方のプロフィールに永続的に残る。こうすることで、評価文や個々のユーザーの見える化 された reputation や信頼度が蓄積され、その件数も伸びやすく、情報の非対称性が解消されてい く。こういった仕組みにより、人々の最適行動が制度設計によって操られ、サービスの質が向上し 続けているような感想を抱いた。また、それらの評価の蓄積により、「本当は居住環境が極め て悪いのに、宿泊者が情報を得られないのをいいことに、過大に良い物件に見せかける」といった モラルハザードが起きにくくなっているのではないか?などといった、ミクロ経済学的な疑問も抱いた。他にも、「互いが互いの評価を気にするため、お互いにマナー良く過ごすことが最適戦略とな っているのではないか?」「ホストは設備に自信があるから紹介文でシグナリングをし、その結果 いい物件であることが多いのではないか?」などなど。聞きかじったミクロ用語ばかりだが、こういった IT を含めた世の中の事象を経済的な 目で考えようとする際に、経済学はツールとして単純に役に立ちそうだという気づきを得ることが できた。金融工学と恋愛をかけ合わせた「恋愛工学」なるものが最近世の中で密かにバズっているように、経済学という切り口からあらゆる事象を幅広く考えることが出来ることを初学者ながら大変興味深く思うのだ。

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築百年の古民家でAribnbステイ

先日御岳山へとハイキングに出掛け、青梅線を使って河辺で温泉に浸かり、食材を調達した後に事前にAirbnbで予約しておいた築百年の古民家でBBQを楽しんだ。 青梅に暮らして15年の中国人の方が運営する個人民宿はその隅々までに彼のこだわりと日本への愛が行き届いており、今までのどのAirbnb体験をも上回る素敵な宿泊となった。極めつけは本物の日本刀体験であり、畳を丸めたような手作りの的を心行くまで叩き切ったのだった。 改めて感じるのは、やはり最も心が休まるのは緑や川に囲まれているひとときだということである。幼少期から毎年家族で小黒川渓谷や軽井沢などの山奥で釣りをしたりハイキングをしたり昆虫を探したりと山猿のような休暇を過ごしていたので当然といえば当然のことではある。今週は両親と二泊三日で軽井沢の鹿沢高原へと旅行。釣りと温泉、そしてようやく法律上許されることになった家族との晩酌がこの出国前の何よりもの楽しみである。

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事故を回避せよ

例えば一緒に遊びに行ったパーティーの中に、大学生にもなって「自分のことは棚に上げ、独りよがりな物・人の解釈をし、陰口を吹聴することで自分の肯定感を高め、人を見定めようと必死な人間」が紛れていた時、あなたができる対処方法はなにか? 1)離れる 新幹線は一センチ離れていれば風がそよぐだけだが少しでも触れると大事故へと発展する。その場をすっと離れて見なかったことにしよう。 2)学ぶ 人の振り見て我が振り直せという古来からの言い伝えである。自分を省みる大切なきっかけをもらったと思って逆に感謝しよう。 最も避けねばならないのは、低レベルの人間へと怒りを露わにしたり気分を左右されること。反応してしまった時点で、あなたはその人と同レベルへと落ち込むのだ、というのは私の父の幼少期からの教えである。 確固たる信念を持って努力をして自分の意見を持っている人間は、そもそもそう簡単に揺らがない。自然な自己弁護を身につけることは、一流のビジネスマンとして行きてく上できっと大切なことなのだろう。 最後に厚切りジェイソンのTweet「お前に認められるために生きているわけではない」 リピートアフターミー 「お前に認められるために生きている訳ではない」 はい — 厚切りジェイソン@英語勉強アプリ発売 (@atsugirijason) September 27, 2015

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思わぬAmericanize

たったの二ヶ月のアメリカ生活だったが、何点かわかりやすく影響を受けていることに気づく。アメリカかぶれのいちエントリーである。 1他人がどう思うかを気にして予定を変更したり、周りの予定に合わせたりしなくなった。時間にルーズになったかといえばむしろ逆で、朝は起きて何か気になることに時間を費やすようになったし、夜は早くても眠い時間に寝るようになった。非常に合理的なのだが、今思うと付き合いたくない相手と付き合ったり、行きたくない場所に惰性で行ったりなどしていたように思う。自分の予定があればそちらを優先して、周りがそれを尊重する、という風土がサマースクールにはあった。一方で、友達と集まれる時はおもいっきり楽しむしその時を楽しみにするというのもあった。 2これはかなり顕著だが、意見をはっきり言うようになった。ラインのやり取りも余計な気の使い方をしなくなった。元々人当たりよく接することができ、言葉のニュアンスに敏感だからこそ、多少ストレートになったところで相手をoffendしてしまうことはないのだなと実感。 3転じて、変に他人に気を使わなくなり、言いたいこと、伝えたほうが確実にプラスになることに関してまったく一歩踏みとどまらなくなった。間違ったものを買えばすぐに言うし、とりあえず交渉してみたり、コミュニケーションを取ることでお互いの利益になることがあるのならその一歩を進んで取るのが合理的でしょという姿勢。 4お酒や楽しいことを正直に楽しみ、働いたり集中する時は全力で集中するという陽キャラ的なwork hard play hardのスタイルに対して感じる心地よさ。A better version of yourselfと目指すというアメリカンなスタイルにはバランスの良さもそこに含まれていると学んだ。例えば一緒に旅行とかビアガーデン行っても恥ずかしくなくて、幅広い話題で語り合えて楽しめて、精神的に成熟していて、コミュニケーション能力が高くて、優しくて、育ちが良くて、バランスが良い友だちと毎日飲み交わせる日々は最高だった。 正確には、日々触れ合っていたのは大半は非アメリカ人。しかし、アメリカという国がそもそも人種のるつぼであり多様な人種が集まって形成された国である以上、さまざまなバックグラウンドを持つ人々が一堂に会する中で自然と生まれてきたこのサマースクールにおけるコミュニケーションのあり方は、アメリカでのそれを少なからず反映しているのかもしれない。

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日本のエリートアメリカのエリート

ある夜中国人と韓国人とGPAについて話した事があった。日本の就職ってGPAがなぜこんなにも関係しないのか、文系で大学院に行かない選択肢が当たり前な現状、新卒一括採用の不思議さ、など。その時のつぶやきはこんな感じ。 「一般に日本の特に文系大学生が比較的勉強しない現状は就職活動時にGPAがなんら意味を持たない現状を変えるだけで劇的に変わりそう。市場の小さいアジア諸国やコネ無しカネ無しだと就職がキツい中国では就職時にGPAが異常に重視されているから超GPA気にするしアメリカは言わずもがな」 NPから引用文章。日本の大学の現状について。 牧野 正幸氏 株式会社ワークスアプリケーションズ CEO 2016年08月03日 ⋮ これは正しいことだし、幼児教育も非常に重要だと思う。 しかし忘れてはいけないのは、日本人の教育レベルは高校までは劣ってないという事実だ。確かに欧米流のトップ校のように個人個人が考える教育は受けられていない人が大半だろう。受験の弊害で極めて画一化された教育になりがちだからだ。だけど、アジアの教育に比べて日本のやり方が間違えとはいえない。中国にしろインドにしろ、高校までは日本もびっくりの詰めこみ型だ。 それなのになぜ彼らが、あれほど社会に出てすぐに使い物になるのか? プログラミング教育?NOだ!、職業的訓練?NOだ! 高校までと異なり、自分で考える教育を大学の時代にとことんやってるからこれほど差がつく。米国の大学と比べてるんではないよ? 大学の関係者の方もこの点はよく理解されてるはず。このコトにメスをいれるのは簡単ではない。しかし、手を付けやすい幼児教育改革する前に、もっとも効果の高いモラトリアム期間の大学の卒業の難易度を引き上げなければもうだめだと思う。別に今の時代から駄目なのではありません。昔は日本の企業はまずはルーチンワークで給与分働いてもらいながら、徐々に考える力を身につけさせる余裕がありました。しかしその時間がもうないんです。 大学を改革することが一番重要なのです。   日本・アメリカのエリートの現状についての記事  https://newspicks.com/news/1701043/body/…

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Why am I crying?

なぜ別れ際に泣けてしまうほど、こんなにも気が合う仲間がたくさんできてしまったのか。 図書館で昼寝し、勉強し、授業を受け、メシを食い、観光をし、数えきれないほどのパーティーをし、一緒に飲み明かし、くだらないことから真面目なことまで話し合い、吐いた仲間を皆で介抱し、一緒に叱られ、起きたらまた皆がいて、また起きるといつの間にか七週間が終わっている。アメリカ人の親友いわく、”It feels like, day1, day2, day3, week1, week3, sorry but this is week7. Time passes so quickly.” I agreeである。 思えば高校一年次にイギリスで短期留学した時は、期間はたった4週間だったにも関わらず、最初の2週間組が帰国する際には今以上の、とてつもない喪失感に襲われ、感情的になったことを思い出す。当然、その時も泣いていた。 夏休みにわざわざ大枚をはたいてサマースクールに来る時点で、金銭的な豊かさや家庭の良好な状態、教育水準の高さなどが担保されていて、ただ勉強ができるだけでもただ家庭が裕福なだけでもない、心が豊かで優秀な学生が集まるのは自然なことだったのだ、だから潜在的に気が合う仲間になりうる生徒の比率が高くなるのは当然である、と説明されればなんとなく納得が行く気はする。様々な非日常的を共有し、新鮮で好質なストレスに晒されて、なんとなく高揚感に包まれているという、環境的な側面も大きいかもしれない。 ——   人の気持ちを知ることができる、だからコミュニケーションスタイルを合わせて誰とでも仲良くできる、というのは兄にも父にも共通した資質である。しかし、幼少期に人見知りだった自分がサマースクール最終日に”the most communicative student”として表彰されたことには家族全員が驚いていた。僕の父は当時ラインでその報告を受け、涙をこぼした。 留学をすると分かる当然のこととして、「人は分かり合えないことよりも分かり合えることのほうが多い」というものがある。そして意見に「絶対」など存在しないという事実と、みんなあらゆる点で違っていて当たり前だよね、という気持ちにもなる。もちろん自らもその「違う人々」の一員であるので、必ずしも他人の言動すべてを許したり好意的に接することはできない。けれど、それを「合わない」とマイナスに捉える必要はなくて、「違い」としてニュートラルに客観的に捉えることが大切だなと気づく。そして、「というかそもそも日本人同士でも皆違いません?!」となる。東京人同士でも日本人同士でもアジア人同士でも皆違うのと同時に、やはり「人は分かり合えないことよりも分かり合えることのほうが多い」のである。アメリカ人だろうとインドネシア人だろうと人間として共有している部分は多い。たくさんの人間が言葉を話すし、空を飛べない。 違いや受け入れられないものをそのままで中立的に残したまま、同時にある人の中に存在する「絶対的な良さ」みたいなものを見つけられれば、最低限その人を尊重することができる。また同時に、その違いからなにか盗んで自分の糧にすることができる。こういう姿勢の中でたくさんの経験をして沢山の人に出会っていくことが、毎日の自分をbetter version of myselfとして磨いていく方法の一つになるかもしれない。 また、サマースクールのように、そのコミュニティの何らかのスクリーニングによって「絶対的な良さ」の比率が高い人が多いコミュニティはやはり存在する。そのスクリーニング基準は学力かもしれないし体力かもしれないし財力かもしれない。言葉では定義できない微妙なコミュニケーション感覚かもしれない。いずれにせよ、少しでも自分を高めることによって少しでもスクリーニング基準の高いコミュニティに飛び込み、その中で仲間を見つけて成長してさらに違うコミュニティに飛び込んで、というサイクルによって、自分の人生を豊かにすることができるかもしれない。この時、自分の効用を高めてくれる人ってどんなんだろう?自分ってどんな人だろう?というのを知っておくことは、自分のありたい姿と進む方向を決めるにあたって大変重要なので、やはり言語化して自分をよく知ることも自分にとってかかせない大事な作業であるだろうから、evernoteであれブログであれ、細々と続けていくことが望ましい。 ※いくつか今後書きたいことたちがオーバーラップしてしまったのと、だいぶトピックから逸れてしまったので、後日break downする。

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ニアミス

単位時間あたりの授業料が(休講とかのせいで)関東一高いと言われている我が母校だが、先日中1から教わっていた英語の先生とハーバードでニアミスをした。結局お互いの都合により挨拶をすることすら叶わなかったが、FBメッセンジャーで先生は「素敵なニアミスだね」と仰っていた。 母校の英語科には卒業まで大変お世話になった。高1の頃から英語にのめり込みだした自分は、周りに比べていくらか可愛がってもらえていたような気がする。 中1から「発音」に特化したオリジナル教材を使った発音の講座が設けられていた。発音記号から始まりf, v,r,lの音の区別、発音のパターンなど、今考えると不思議な授業だった。筆記偏重の日本の英語試験ではせいぜいセンターにおける数点分の稼ぎにしかならなさそうな話だが、話すツールとして学ぶ上では欠かせない学びだったと感じる。英語プレゼンの授業や文法全振りの授業などバラエティに富んでいて、意欲的な生徒にとっては中々イイ感じの授業が提供されていたのかもしれないなどとも思えてくる。何かと自分のペースで自分のやり方でやりたい自分にとって、拘束が少なく自由にやりたい通りに進められたことも今では良かった気がする。思い出とは総じて後付けで美化されがちである。 英語を学び始めた時に出会った先生と、英語を使って留学している最中にニアミスするというのはなんとも言えないものがあった。先生は、これからMITの武蔵OB達を含むアメリカの研究者たちとの会食とのことだった。いつか自分も先生達と楽しく飲めるような何者かになりたいと思った瞬間であった。帰りの飛行機ではハリーポッターの新巻を楽しむことにした。

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